覆される裁判員裁判、司法には被害者の無念が伝わらないのか!?

日本の裁判は、市民感覚からすれば、時々首を傾げる判決があります。
市民感覚からズレた判決がしばしば言われる中、その解決策として裁判員制度が平成21年(2009年)5月21日より開始されました。

なぜ裁判員制度が導入されたかについて、ウェブサイトでQ&Aの形で次のように紹介されてます。

『これまでの裁判は,検察官や弁護士,裁判官という法律の専門家が中心となって行われてきました。丁寧で慎重な検討がされ,またその結果詳しい判決が書かれることによって高い評価を受けてきたと思っています。
しかし,その反面,専門的な正確さを重視する余り審理や判決が国民にとって理解しにくいものであったり,一部の事件とはいえ,審理に長期間を要する事件があったりして,そのため,刑事裁判は近寄りがたいという印象を与えてきた面もあったと考えられます。…..<以下略>』

※ウェブサイト「裁判員制度」より一部を抜粋

国民にとって理解しにくいものとは、まさに国民感情からかけ離れた判決だと私は思ってます。

そして今回、裁判員裁判で「死刑」が出された判決が、2審で「無期懲役」とひっくり返され、更に最高裁で上告を棄却する判決が出されました。
つまり、「死刑」から「無期懲役」へ判決が確定したというわけです。

その裁判は、埼玉県熊谷市で平成27年、ペルー国籍の男が小学生2人を含む6人を殺害した事件です。

この事件の詳細は、ネットで探せば出てくるらしいですが、これを読んだ人は一様におぞましい事件と語られてます。
中にはしばらく、まともに食事もできないくらいと言う事ですので、私のように覚悟のない方は、詳細は調べない事をおすすめします。

しかし、詳細など分からなくても、小学生2人を含む6人も殺害した、それだけで十分おぞましい事件です。
結局、量刑は責任能力により「無期懲役」と覆ったわけです。

この覆った結果を見れば、なるほど、『この犯人の男は心神耗弱という精神状態にあって、彼自身がこのように及んだのはそうした判断能力がなかったから仕方ない部分もある』、私にはそのように聞こえてなりません。

これのどこが市民感覚なのでしょうか。

何の落ち度もない一家が無残にも殺害され、挙げ句、幼い子供にまで手に掛けました。

これをどうしたら「死刑」以外の判決になるのでしょう。
被害者遺族の無念は計り知れないものだと想像します。

もし、司法や判例が優先されるのなら、もはや裁判員制度など不要です。
ただの時間のムダと茶番でしかありません。

そして国会は一刻も早く、凶悪な殺害事件に死刑判決を出さざるを得ない、法改正を行うべきです。

<参照:裁判員の「死刑」覆し確定6件目 熊谷6人殺害事件>
https://www.sankei.com/affairs/news/200910/afr2009100019-n1.html

<参照:裁判員制度Q&A>
https://www.saibanin.courts.go.jp/qa/index.html#c1_1

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